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最高裁判所第一小法廷 昭和55年(行ツ)137号 判決

上告人

治久丸正明

右訴訟代理人

中田明男

井上善雄

山川元庸

被上告人

大阪府警察本部長  杉原正

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人中田明男、同井上善雄、同山川元庸の上告理由について

所論は、道路交通法一二七条一項の規定による警視総監又は道府県警察本部長(以下「警察本部長」という。)の反則金の納付の通告は抗告訴訟の対象とはなりえないから本件訴えは不適法であるとした原判決の判断は、憲法三一条、三二条、七六条二項後段に違反する、というのである。

交通反則通告制度は、車両等の運転者がした道路交通法違反行為のうち、比較的軽微であつて、警察官が現認する明白で定型的なものを反則行為とし、反則行為をした者に対しては、警察本部長が定額の反則金の納付を通告し、その通告を受けた者が任意に反則金を納付したときは、その反則行為について刑事訴追をされず、一定の期間内に反則金の納付がなかつたときは、本来の刑事手続が進行するということを骨子とするものであり、これによつて、大量に発生する車両等の運転者の道路交通法違反事件について、事案の軽重に応じた合理的な処理方法をとるとともに、その処理の迅速化を図ろうとしたものである。

このような見地から、道路交通法は、反則行為に関する処理手続の特例として、警察官において、反則者があると認めるときは、その者に対し、すみやかに反則行為となるべき事実の要旨及び当該反則行為が属する反則行為の種別等を告知し(一二六条一項)、警察官から報告を受けた警察本部長は、告知を受けた者が当該告知に係る種別に属する反則行為をした反則者であると認めるときは、その者に対し、当該反則行為が属する種別に係る反則金の納付を書面で通告し(一二七条一項)、通告を受けた者は、反則行為に関する処理手続の特例の適用を受けようとする場合には、当該通告を受けた日の翌日から起算して一〇日以内に通告に係る反則金を国に対して納付しなければならず(一二八条一項、一二五条三項)、右反則金を納付した者は、当該通告の理由となつた行為に係る事件について、公訴を提起されないことになり(一二八条二項)、反則者は、当該反則行為についてその者が当該反則行為が属する種別に係る反則金の納付の通告を受け、かつ、前記一〇日の期間が経過した後でなければ、当該反則行為に係る事件について、公訴を提起されないこと(一三〇条)等を定めている。

右のような交通反則通告制度の趣旨とこれを具体化した道路交通法の諸規定に徴すると、反則行為は本来犯罪を構成する行為であり、したがつてその成否も刑事手続において審判されるべきものであるが、前記のような大量の違反事件処理の迅速化の目的から行政手続としての交通反則通告制度を設け、反則者がこれによる処理に服する途を選んだときは、刑事手続によらないで事案の終結を図ることとしたものと考えられる。道路交通法一二七条一項の規定による警察本部長の反則金の納付の通告(以下「通告」という。)があつても、これにより通告を受けた者において通告に係る反則金を納付すべき法律上の義務が生ずるわけではなく、ただその者が任意に右反則金を納付したときは公訴が提起されないというにとどまり、納付しないときは、検察官の公訴の提起によつて刑事手続が開始され、その手続において通告の理由となつた反則行為となるべき事実の有無等が審判されることとなるものとされているが、これは上記の趣旨を示すものにほかならない。してみると、道路交通法は、通告を受けた者が、その自由意思により、通告に係る反則金を納付し、これによる事案の終結の途を選んだときは、もはや当該通告の理由となつた反則行為の不成立等を主張して通告自体の適否を争い、これに対する抗告訴訟によつてその効果の覆滅を図ることはこれを許さず、右のような主張をしようとするのであれば、反則金を納付せず、後に公訴が提起されたときにこれによつて開始された刑事手続の中でこれを争い、これについて裁判所の審判を求める途を選ぶべきであるとしているものと解するのが相当である。もしそうでなく、右のような抗告訴訟が許されるものとすると、本来刑事手続における審判対象として予定されている事項を行政訴訟手続で審判することとなり、また、刑事手続と行政訴訟手続との関係について複雑困難な問題を生ずるのであつて、同法がこのような結果を予想し、これを容認しているものとは到底考えられない。

右の次第であるから、通告に対する行政事件訴訟法による取消訴訟は不適法というべきであり、これと趣旨を同じくする原審の判断は正当である。

所論は、憲法三二条違反をいうが、通告が通告に係る反則金納付の法律上の義務を課するものではなく、また、通告の理由となつた反則行為となるべき事実の有無等については刑事手続においてこれを争う途が開かれていることは前記のとおりであるから、通告自体に対する不服申立ての途がないからといつて、所論憲法の条規に違反するものではなく、このことは従来の判例の趣旨に徴して明らかである(最高裁判所昭和三八年(オ)第一〇八一号同三九年二月二六日大法廷判決・民集一八巻二号三五三頁参照)。また、所論中憲法三一条、七六条二項後段違反をいう点は、通告は、前記のような性質の行政行為であつて、刑罰を科するものではなく、行政機関のする裁判でもないから、いずれもその前提を欠くものというべきである。

論旨はすべて理由がなく、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(団藤重光 藤﨑萬里 本山亨 中村治朗 谷口正孝)

上告代理人中田明男、同井上善雄、同山川元庸の上告理由

第一、原判決は憲法第三二条に違反する。

原判決は「道交法一二七条一項による警察本部長の通告処分は、通告を受けた者に対し、反則金を納付する機会を与え、当該違反行為について、交通反則通告制度による簡易迅速な事件処理を受ける機会を与えるだけの一種の行政的措置に過ぎず、これに何らかの効果が付与される行政処分とは認められない。」と判示し、第一審の「本件通告は道路交通法一二七条一項、一二九条二項によりなされたもので、反則者に対し通告にかかる反則金の納付を一方的に義務づける処分であるところ、刑事手続で争う余地のない本件においては、行政事件訴訟法三条二項にいういわゆる行政処分に該当するというべきである。」との判決を取消した。

しかしながら、通告を受けた者は、反則金を納付しなければ起訴され、反則金より不利益な刑罰を科されるかもしれないのであり、(一定の資格制限を受けるおそれもある)、しかも、罰金額は反則金より高額となるおそれすらある。

たとえ、通告が建前のうえでは、刑罰を科されるべき者に対する恩恵的な行為であるとしても(但し本件のように、現行犯逮捕という強制力と結びついた時は、通告処分は司法審査の否定につながる)、それが違反事実の認定を含む以上、通告を受けた者にとつては、これに不服があつても違反事実を承認して反則金を納付するか、それとも裁判手続による違反事実の確定を求める為反則金を納付せずに刑罰を科せられる危険を負担して争うか、そのどちらかを選ばざるを得ない立場に置かれることになる。

すなわち通告は、通告された違反事実を承認するかどうかの選択を追るものといえよう。この選択の対象となる違反事実の認定を取締機関(行政機関)である警察限りのものとして果してよいのであろうか。

憲法第三二条は、民、刑事は勿論のこと、行政事件についてもそれぞれに権利保護の資格ないし利益のあるときは、すべて国民が裁判を受ける権利を保障することを規定したものである。

通告に応じて反則金を納付し、刑罰を免れることは通告を受けた者にとつて重要な利益である。通告に不服がある為に反則金を納付しないでいると、右の利益を享受する機会を永久に奪われることになる。

そこで、通告された違反事実に不服があつても、右の利益が奪われ、刑罰を科せられることになるかもしれないことをおそれて、やむを得ず違反事実を認め反則金を納付するものが現われることは十分予想されるのである。

又本件のように、現行犯逮捕により身柄を拘束されている者が、早期釈放を願つて不本意ながら、当該警察官の告知に屈服し、反則金を仮納付する場合も現に存在しているのであつて、このような場合にまで、違反事実の認定を司法機関である裁判所で争うみちを奪うことは憲法第三二条に規定する国民の裁判を受ける権利を奪う以外何物でもない。

原判決は、通告が建前のうえで反則金の納付を強制していない点を強調するが、本件の如く違反事実の認定を争い現行犯逮捕され、法律的知識に乏しく、いつまで身柄を拘束されるのか、わからない状態の下で反則行為を告知し、反則金を警察官同行のうえで仮納付させた事実を鑑みるとき、本件通告は反則金の納付を義務づけた行政処分であることは明白である。

更に原判決は「本件のように通告を受けた者が既に、反則金を納付している場合、警察本部長の側で道交法一二七条二項を類推し、通告処分を取消して反則金を返還しない限り、通告を受けた者の側から通告の理由となつた違反事実が存在しないことを争うことができなくなるが、本制度の中にそのような不服申立の制度が認められていない以上、反則金の返還を求める民事訴訟によるほかはなく、抗告訴訟をもつてその取消を求めることはできないといわなければならない。」と判示するが、単に反則金を返還する等、事実上の不利益を回復するだけでは不十分で、通告を取消して、通告を受けた者が違反を犯していないことを宣告し、その名誉の回復をはかる必要がある。

第二、原判決は憲法第三一条に違反している。

憲法第三一条は、刑罰を科する場合の適正手続の保障のみならず行政上の制裁の場合にも適用されると解するのが通説である。

前述したとおり、本件通告処分は、反則金の納付を強制しているものであり、反則者の任意性はなく何ら公正な審理を担保する手続を得ていない。

第三、原判決は憲法第七六条第二項後段に違反している。

本件通告処分に基づく任意性のない反則金の納付について、何らの不服申立が許されないとすれば、実質的に行政機関たる大阪府警察本部長が終審として裁判を行つたことになる。

第四、以上の如く、本件訴を不適法として却下した原判決は、憲法の諸条項に違反する違法なものであるから、速やかに破棄されるべきである。

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